性の歴史

今日は曇り。時々雨。

5時起床。

子どもたちの朝食、昼食用に

昨日のポテサラをサンドウィッチにして、おにぎりを用意した。

洗濯は回したが、間に合わず娘に頼む。

6時には出発。

大学病院へ。夫共に。

身内が手術ということで

1日の大半を病院の家族待合で過ごした。


たっぷりとゆっくりと、時間はあった。

宿題を大量に持ち込んだ。

その一つ、

「<おんな>の思想 私たちはあなたを忘れない 」 上野千鶴子 集英社文庫


読み返そうと思って持ってきた。

あの、上野千鶴子の魂を揺さぶった、血となり肉となったことばのルーツを

紹介した本で、何回読んでも発見がある。


第2部 ジェンダーで世界を読み替える

セックスは自然でも本能でもない ミシェル・フーコー

「性の歴史1 知への意志」

ここは、何度読んでも唸る。


性(セックス)とは「両足のあいだ」にあるもの、すなわち性器であり、

性のあり方(セクシュアリティ)とは「両耳のあいだ」にあるもの、すなわち大脳である。

                              …全米性情報教育協会

うまい具合にまとめられないが、

これまで、性行為や性衝動といった性にまつわることは生殖は自然なこと。

本能的なこととされてきたが、実は違う。


その時の社会、文化によって作られてきた歴史がある。

例えば、聖職者たちは、結婚のもとでの異性間の生殖を目的とした性器挿入を伴う性交だけが「正常な性行為」であるとして、生殖に結びつかない性行為は避妊はおろか前戯や後戯も過剰で逸脱的であるという規範をたてた。


正常位とは宣教師が教えた体位のようで、

考えてみれば何をもって正常とみなすのか、よくわからない。

異常な体位があるのか。

わからないから、調べようと検索すると、アダルトサイトらしいページが飛び込んでくる。

なんか気分わるい。

すごく、悪い。

なんでだろうか?

その、考察はいつかしよう。


生殖のための異性愛。

それ以外は排除すべき、異常な性のありかただとされてきた歴史。

同性愛が「精神疾患」から外れたのは私が生まれた3年後の1973年。


フーコーはゲイだったようで、自身のアイデンティティをかけて

この本を世に送ったらしい。


忘れないうちに「性の歴史」を読まねば!!と思った。


17時過ぎに第一ICUの若い兄ちゃんナースが呼びに来た。

やっと、終わった。

ふう~。

シリンジポンプを7,8台付けて挿管している。

手術は無事に終わったらしい。

丁寧に主治医が説明してくれた。


18時に病院を後にして、夕飯を食べた。

回転ずしにいき、ほぼ安い皿で、二人分あわせて1760円だった。

なんて、経済的。


帰路に就く車中では、お互い口数は少なかった。

大きなハードルはとりあえず越したという安堵感や、

ほぼ一日中座っていた疲れでぐったりだった。


眠い。


            *オオデマリ

             コデマリの大きい版と思いきや花が全然違う。

             白いアジサイが木の上に乗っかってる感じ。

             花瓶に生けるのが難しいんだよな。

             でも、やっぱりいいわ。その存在感好き。










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