先日から読み始めた本。
「死刑について」 平野啓一郎 岩波書店
思った以上に、
読みやすく、わかりやすい。
作家の平野氏自身、
当初、死刑への思いは
仕方ない。
だったそう。
それが、なぜ
心底、嫌気がさして、反対するようになったのか。
変化した理由をいくつかあげている。
その中で2つ紹介。
➀警察の捜査の実態を知る
警察の捜査の在り方に強い不信感を抱くようになった。
信じられないような冤罪事件が少なからず起きている。
また、警察は冤罪だとわかっていても
けっしてそれを認めようとせずむしろ
自分たちの正当性を守るために、
場合によっては証拠の捏造まで行っている。
強い正義感を持つがゆえに
間違いが許されず、
開き直ってしまうのか?
ごめんなさい。
この言葉がいえないんだな。
きっと。
②社会の側の怠慢を問わなくてよいか
死刑判決がでるような重大事件を
調べてみると、加害者の成育環境が劣悪なケースが
少なからずある。
本来は行政や法律などを通して支えなければ
ならないはずなのに放置されることがある。
放置しておいて、重大な犯罪が起きたら死刑にして
存在自体を消してしまい、
何もなかったようにおさめてしまう。
これは、国や政治の怠慢であり
私たちの社会そのものの怠慢ではないか。
私も②は強く思っている。
ヒトは一人では生きてない。
なぜ、そのようなことを起こす状況になったか。
100%の自己責任なの?
責任転換はないの?
対症療法であって(国民感情を鎮めるための)
根治療法ではないな。
だから、似たような事件が次々と起こる。
それに、
生まれつきの殺人者はいない。
一番頑張って生まれてきた自分。
それを、私たちはみてきた。
助産師はその証人。
その人が、
どんな状況で
ヒトを殺める状況にまで至ったのか。
それは、わからない。
けれど、
もう一回やり直せるチャンスを
もらえないだろうか。
ひとが生まれる現場に長くいた。
死産・流産様々な死にも出会った。
ヒトの生き死には深い世界。
簡単に答えが出るものでもない。
たぶん、ずっと
考えなければいけない領域なんだと思う。
まだ1/3残ってるので、
ゆっくり読み進めようと思う。
夕飯
空心菜の炒め物
かぼちゃの煮物
豆腐とわかめのお汁
鳥皮の炒めたの
*紅玉
昔からあるリンゴの品種。
すっぱいので、
お菓子によく使われる。
今年は久しぶりに
アップルパイにも
挑戦してみようか。
もち、皮も手作りで。
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