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執筆者の写真まきたひさこ

私のノンジャッジ修行は・・・。

すうっと目が覚めた。

いい感じ。

・・・と思ったら、6時半を過ぎていた。

まずい。

急いで娘を起こす。


外は雨降り。

バス停までは車で行きたい。(娘)

いいや、今朝はそんな本降りではないので歩いていこう。

しぶしぶ・・って感じの娘と傘をさしてトボトボ。

車窓からはみえない小さな景色や雨の匂い、空気の冷たさを感じながら

歩くの、私は好きなんだけど。


バス停まで迎えに来てよと念を押しながら、

バスに乗り込んだ娘。

はいはーい。いってらっしゃい。

ああ、やっといったな。


バス停から自宅までを一人で帰りながら

ふと思った。

ノンジャッジのこと。


ジャッジの基本は自分の価値基準。

その基準はこれまで生きてきたものから作られる。

関係性(親子、友人、知人・・)価値(宗教、哲学、・・)

健康観、自然観、・・


で、ノンジャッジの何を思うのか。

それは、私自身ジャッジしていたつもりはなかったのに

実はしっかりしていたという見たくもない自分に出会ってしまったから。


医療者、母親、妻、お嫁さん・・と様々な面がある。

多面体なわたし。

それぞれの役割を果たし、なんとかぶつかりあわないように、

ぶつかったとしてもできるだけダメージが小さくなるよう

折り合いをつけてきたつもりだった。

けれど、そこが正面衝突。


私のこれまでの常識を軽々と飛び越え、

はあ?って感じ。

私が考えるリスクが相手にとってはリスクと思っていない。

大したリスクでなければこだわらない。

けれど、

そこに「いのち」と「身内」が関わってくることでより問題は、

複雑にそして感情的になるんだよな。

助産師のジェンダーバイアスかなあ。


患者に寄り添うこと、共感、受容。

響きはいいけどむずいわ。

やってきたつもりなんだけど、

おまえ、違うだろ!!ってパンチをくらった感じ。


いい、悪いってジャッジすることは時にはいるんだけど、

そうしちゃいけん時もある。

ノンジャッジ。

こちら視線でなくあちら視線で。


分かったつもり、できてるつもりだったノンジャッジ。

出来てない自分に気が付いたこと。

そして、それを認めたことには褒めてやりたい。


これからも、つもりの自分を見つけて認める。

それが、自分のバージョンアップにつながるような、

そんな気がする。


私のノンジャッジ修行はこれからです。


夕飯はクリームシチュー。

ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ

お芋さんいっぱいの胸肉を使ったシチュー。

サラダはエネルギーきれて無理。だった。


*庭のサザンカ


この前はピンクだったけど、

うーんやっぱ白もいいな。

黄色い花弁がアクセントで、

きゅっと際立っている。

どの花もみんな違うのに

みんなそれぞれにいい。

やっぱ、花は好き。











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