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待つこと。

更新日:2021年6月3日

快晴。

昨日よりは気持ちよく目覚める。

娘はもう一歩なので、

今日もお休み。


5月から、町の健診を手伝っている。

既往歴や、時には成育歴までも知る事になり、

聞き役に徹するわけだが、改めて聴くことは

エネルギー使うなあと思う。


一生懸命に聴く。

話すよりも大変かも。

なぜか。

話すことは自分のいいように自分本位でできる。

けれど聴くことは相手を待たなくてはいけない。


「待つ」ということ  鷲田清一 角川学芸出版


だいぶ前、息子の高校の懇談の時図書館の近くが会場で

その時に目についた本。

それからは、鷲田清一という人の本を数冊めくった。


この本には、待てなくなった今についてや、

「待つ」ことの意味がつづられている。


医療、こと産科領域でも待てないお産がある。

待つことは、エビデンスや経験や責任や気分・・に左右される。

母子の命を預かるわけだから、一刻の猶予を許さない時もある。

けれど、産む力、産まれる力を最大限にいかしてギリギリまで待つお産もある。

その、ギリギリの範疇が難しいのかも。

一応ガイドラインはある。

けれど、それを遵守しないときにトラブルが起こる。


子育ても待つことの連続。

私はとてもせっかちでなおかつ子供好きではなかったのに、

なぜか親になってしまった。

いま、育てる側を20数年やって思うのは、

まあ、いっか。

と、思えるようになったこと。

いのちに危険がある事や、人道上よくないこと以外は

まあいっか。

でなんとかなるような気がする。


昨日より調子のよくなった娘と

だらだら過ごしながら、

「エトラちゃんは見た」の話なんかをしながら

よくなるのを、焦らず待つ。

そんな、1日だった。


さて、夕食はかつおのたたき。紫玉ねぎの薄切りをそえて。ネギを散らす。

こんにゃくとしめじのショウガ煮。昨日煮つけた白貝。

余ったご飯で納豆巻き。白飯。あと、みそ汁。

*アルストロメリア


一見派手な、見栄えのするこの花は、

このピンクが多分一番強いのか、

毎年咲いている。


球根なので、よっぽどじゃないと

枯れない。


以前岡山の美人の湯に行ったとき、

湯船に桶があってその中にこの花が活けてあった。

湯につかりながら花を愛でる。

たーまに、デンファレの花湯やバラ湯につかるが

どれも、贅沢でしあわせなひととき。 




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