今日も快晴。
風は気持ちいい冷たさ。
コンの散歩へ。
80近いおばあちゃんが草刈り機をウイーンって音させながら動かしていた。
時々コンの散歩中に出会うかわいいおばあちゃんだ。
思わず、かっこいいなとつぶやく。
昨夜私は宝物を見つけた。
日本海新聞、現論「求められる環境倫理」 山極寿一
ここに、『山尾三省 アニミズムという希望』という本の紹介があった。
“三省さんは、土とともにいきよ、という。
土は地球そのものであり、生物が地球と一緒に作ってきた共同の財産でもある。
そこに森羅万象が宿る。
その中に自分の好きなものができた時それがカミである。
美しいもの、
喜びを与えてくれるもの、
安心を与えてくれるもの、
慰めを与えてくれるもの、
畏敬の念を起こさせるもの、
そういうものはなんでもカミであり、現代においてもそれは
いささか変わらない。
それらのカミと自己とが調和して一つに融合したときに、まことの自分が現れる。
…労働条件や親族の絆だけが住む場所を決定する要件ではない。
豊かな自然と安心感を与えてくれる人々とのつながりが新しい基準となる。”
山極氏はゴリラの研究で有名な京都大学の学長。
私とは遠いご縁のなさそうな方だが、
10年以上前、助産師会の中四国大会が鳥取で開催された。
その時に講演してもらったのが山極氏だった。
なんか、うれしいな。
さて、アニミズム。
なかなか聞きなれない言葉だが、上記の文章が目に飛び込んできたとき
ガッテンした。
人が自然に身を起き、生き返ったり、心が浄化されるのは様々なカミの力。
山や森は、古来より日本人にとって神宿る場所であった。
人工物も素晴らしいけど、その原点はやはり。
不自然なものたちに囲まれていると何が自然でそうでないかの線引きが難しい。
いくら、流ちょうに言葉を紡いでみても壮大なこの自然を表すことはできない。
身体で感じる。
脳は、ちょっとおいといて。
ただ、感じる。
時々米子方面に行くとき、遠くにそびえる大山に手を合わせる。
様々なカミたちに見守られていることに気がつけば
生かされている自分に気づいたり、
しぜんと感謝が芽生え目の前に道が開けるのでは。
そして、そのような自然との距離感や向き合い方がおのずと
みえてくると思う。
人間中心はまわりまわって自分の首を絞めることになる。
自然災害や気温上昇やマイクロプラスチック等がそれにあたると思う。
今夜は月が静かに浮かんでいた。
青白い光を放ち、こちらを見ていた。
今も昔もみんなが月をみあげて何を思ったのか。
千代ちゃんも見上げていたなあ。
久しぶりに月光浴でもしようかな。
牡丹のはな。
立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花
あでやかな花の代名詞でもある。
大根島にある由志園に数回訪れたことがある。
黄色や、紫、深紅、のそれはすごい数と迫力で圧倒された。
ほのかに甘いさわやかな香りになんか得した気分。
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