予報は雨だった。
目覚めた時空が赤くて、青かった。
ラッキー。
行こう!
朝焼けの中コンちゃんの散歩へ。
ムスメも起こした。
散歩のついでに
ヨモギを大量に採りたかったので
人員確保。
しぶしぶ、起床。
だったけど、途中で歌を口ずさんでいた。
今朝はこの頃にしては
あったかい空気で少し汗ばんだ。
袋いっぱいのヨモギを抱え帰宅。
日中は友人に会ったり、
うだうだして時間は過ぎた。
ランチ後携帯のいつも見る情報欄に
懐かしい名前があった。
鈴木鈴美さん。
以前、AVの社会学や
限界から始まる 上野千鶴子との往復書簡
で、出会った作家。
そこに、
「売春をどうやったら否定できるのか」
こんな1文があった。
ダメと言ったらダメ
魂に悪い
あなたのためにならない
こんな説得じゃあ納得いかず、
否定できないならやっちゃうけど、いいの。
と、若かりし頃は思っていたという鈴木さん。
なぜ、カラダを売ってはいけないか。
実のところ、私もよくわからない。
そんなことをすると、
親が悲しむから。
でも、自分のカラダは自分のもの。
親は関係ないといわれそうだし、
後悔するよ。
でも、自分でそれはひきうけるし。
ああいえば、こう切り返されるし、
で結局明快な答えは・・・ないなと思う。
ただ若かりし頃、否定できないなら・・
と思っていた彼女の心境には変化があったらしく
こんな説得じゃあ・・
と思っていたことが実は侮れない
むしろ大事なことなんだという気持ちが
芽生えてきたらしい。
そして、
なんとなくダメな感じがするという感性に従うことが
結局は一番身を守る術なんじゃないか。
と回想している。
この、なんとなくって感じ。
確定じゃなく、
なんかちょっと・・こっちかなって感覚
だろうか。
あいまいな、グレーな感覚が守ってくれる。
ってことだろうか。
言われてみれば、
とっさのことや、予期しないことに対して
すぐに白黒決められるわけではない。
けれど、
なんとなく・・・って感じは抱く。
その感覚を大事にということか。
26年前、この人だ。
ビビット来たわけではなく、
なんとなくいいと思い26年間一緒の時間を
過ごすことになった。
なんとなくでもいいのかもしれない。
虹のようなあいまいさは
セクシュアリティの説明に引用するときが多い。
ニンゲン自体があいまいなもの。
だいたいにおいて。
そんな感じでいいかもしれない。
先ほどから雨が降り始めた。
風も強そう。
やっぱり予報はあたった。
ストーブをつけて
ダラダラしようと思う。
夕飯
がんもどき
(ぎんなん、きくらげ、ニンジン)
崩れたがんもの卵とじ
具だくさん野菜のスープ
*ヨモギを干す
かなりの量だ。
何回できるだろうか。
よもぎ蒸し。
ヨモギ茶。
ヨモギのお風呂。
いま、ストーブで干してます。
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